すでに1週間前となったライブインマジックを詳しく(相沢明日香編)

相沢明日香に少女をおもうのです。

商品に関するいろんな質問でさんざん彼女を手こずらせたあげく、やっとたった1枚の画像CDを選びだした一人のうるさい客が、カネを支払ってようやく立ち去るフェーズに入りました。そのとき彼女が彼にさしだした両手。

ああ、物販のお約束の、握手ってやつです。ほいほい、と返した手はしかし、おもいがけず力強く握られました。

ぎゅっ、、

彼の掌の細胞が80%ぐらいずつ縮小されそうなほどの強い圧力と、温度。

どっくん。

瞬間、彼にかなりどっくんが来ました。にぎられた手から心臓を経て脳のなかまで。そして、

きゅん…

もジワッときました。そしてこんなにどっくんきゅんした自分にびっくりしました。この年頃の女の子との握手とかその他はもう一生分済ませている彼でありましたが、なのにこのとまどいとココロの乱れは何なのでしょう。

うれしい。あったかい。やわらかい。つながり…。

彼の手を両手のてのひらで包み込んだ彼女はびっくりしたように
「手が……」
つめたい、と言いたかったのでしょうか、しかし言いさしてやめました。無言の握手空間。体温の交換。いや、彼が一方的にもらう温度。

温度とひきかえに精気が吸い取られていき、精気とひきかえにぬくもりが伝わってきて、ぬくもりとひきかえにエロオヤジヲタのベトベトした心根が彼女をけがしていき、そのけがれと引き換えに彼女の若いエキスがオヤジを少年へとタイムふろしきしていく、純情サイクル過程としての握手。

おもえば長らくこんなのは彼にとってごぶさたでした。手と手「だけ」でそういうサイクル過程を成立させるということが。ぎゅっと抱「かれ」て双方向の過程をトリガしてもらえたということは。そのとき彼は、彼女の強い意志を間近にあびたように感じました。

離さない……!

じつに彼のココロは、手が離れて1週間が経ったいまも彼女を離れないのです。そして今日こそはこの想いを書こう、今日こそは書こう、と思いながらやっと1週間目の土曜日、次のような文を書いてみたのでした。

彼女はその強い握手が男を惑わすことは知っている。しかしこんなにも強く惑わすのだということは知らないかもしれない14歳。ネコの着ぐるみを着てよちよちと踊るいたいけな中学生に、こんなふうに強く握手するとお客さんは喜ぶよ、と大人の男性が手をとり教えてくれた。

これしきの青春アタックでとまどってココロは乱れじオヤジぞ我は。

でももしかして、明日香ちゃんが自分で考えて強く握っているのかなあ。だとしたらせつないにゃあ。ほんとうは、そんなにして求められるほどの者ではないよ。あ、知ってるか。たいしたことしてあげれないのに。なんでそんな強くにぎるの。

たかが握手を強くにぎってくれるアイドルごときでNSビル*1いっぱいの人の列の輪がしっぽ飲み込んじゃうほど何度も何度も並んでしまう山中すみかファン*2のように、僕はそのとき純情な一介の少女芸能客へと回帰していた。もう戻れないと思っていた場所に。

身体をまるごと抱くより、手をにぎりあうだけのほうがうれしくてきもちいいのはなんでなんだろう。二人はだかでいても、手だけつないでいっしょに寝るのが好きだ。だれもがそうだとは思えないので、この特殊な世界にかつて僕はそれだけ長くいすぎたのかもしれない…。

あっ、このあと握手があるかな? というぐらいの想念は、じつは終演直後オシッコに行ったとき、脳裏をちらりとかすめてはいた。だからちゃんと手もあらったし! 石鹸が置いてなかったけど…。

でも意外に握手が強くてびっくりして思わずココロがうばわれてしまったということがひとつと、それから案外あっさりとオヤジのココロというのはもう何にも感動できないように思えていながらけっこうこんなことで簡単に動かせてしまうんだなあ、と興味深く自己観察して感嘆したわけであった。もちろんやはり昔とはちがって、かなり条件がそろったからこそこうやって突き動かされたということだろううけども。その条件というのがすなわち、かわいくて真摯な彼女だったのだろう:相沢明日香

有名な子です。僕が事前に知っていたほどです。まあこの名前は読み間違いようがないです。フォルダ順でも目下最初に来てるしいい名前です。あいおえみ、あいかわえり、ぐらいしか勝てる人はいない。しかもそんなフォルダないしウチ。

フォルダに何十個もファイルが落とせちゃうほど、インターネットで彼女の画像は広く出回っていますが、かわいいという声や、いい子だよという声はたくさん見るなかに、この子を悪く言う声をまだ見たことがありません。彼女は自分の素直さとひたむきさがそうした好意を得ることを知っている。でもこんなにも大きな強い好意を男から受けるということは実感をもって想像する能力をもたないだろう。14歳の限界であり、もしかしたら女にはそのあと一生わからないことかもしれない。男は12歳で女を求めるという病気にかかり、いくらがんばっても治ることは一生できないという運命を。女は11歳で女をはじめるという天啓を得て、それを活かすという愉しみに縛られてそれ以外のことなどほとんど何もできはしないが、そのくせ自分がほんとうに愛されているときにはその価値を本当にはわからないものらしい。

  • いわく、自分をいま愛している男は私を愛するべき資格をもった男ではない。
  • おもえらく、自分をこまごま気づかってキスしてくれたりセックスしてくれたりする、この男の毎日ささやくこの愛は真実。

そんな勘違いにときめいた日々を送るうちに少女は老いやすくあっという間に18の声をきくのです。

しかしそんな中、いやそんな中だからこそ、明日香ちゃんのように群がる男をうれしいと思ってくれてる(みたいな)そぶりを見せてくれる子というのは貴重で、大切で、うれしくて、しかもこんなにかわいくてまじめな子、ほうっておくことはできません。

私はいまこの文を書き始めるにあたって、故意に自分に禁じている或る一単語があります。それは

加藤西里奈

かつて姫乃樹リカを論じる際にログアウトというミニコミで伸さんという方が
松田聖子という名前を出さずにこの新人を語ることはなかなか難しいが」*3
という出だしでレビューをものしたときのように(あれは『ときめいて』のレビューでした)、
私は
「まるでこの子は加藤西里奈ちゃんのようにひたむきでかわいくて華奢で、そして南の島の太陽の光を放つ」
と書ければどんなに楽なことでしょう。しかしそれでは相沢明日香という一人格に対し失礼だし、また僕もそればかりでなくやはり何か彼女についてオリジナルのあることを書きたいというこの気持ち、これは恋なのかな??? 春の輝き、金のボタン。見つめていたい、Dan Dan…。

杏野はるなちゃんが非常に安定して運転される100万ガロン級三層発電機(3000万世帯を扶養)だとすれば、対する相沢明日香ちゃんは絵に描いたように対称的な存在です。東京図鑑というこの2人はまるで、アニメばかり見て育った自称クリエイター志望が専門学校で書いたシナリオ・絵コンテみたいな紋切り型のキャラクタ設定としか思えないくらい典型的に互いをきわだたせる対称性を示しています。ランドセルぐらいの大きさのエネルギーパックの中で謎のコアがものすごい速度で(一説には光を超える)ブン回っており、当然その莫大な角運動量はどこかへ逃れ出るタイミングを欲しているのですが、ランドセル自身がそのための自分を制御する方式をまだ見つけていなくて、したがってエネルギー放射はときたま我慢しきれなくなって不特定のタイミングで不特定の量(直撃されれば3000万世帯が蒸発するともいう)があらぬ方角へ飛び出していく! それが明日香ちゃんだとでもいいましょうか。

明日香ちゃんのおどりがまさにそれです。

まだ自分の手足の使い方がはるなちゃんほどにはつかみきれてなく(比べる相手ができすぎ)、しかも2・3年前にはまだこんなに細長くなかった自分の四肢をどう操っていいかココロの準備もまだできていないため、おもいがけないタイミングでおもいがけない方向に手足が飛び出します。

明日香ちゃんの歌もまたしかり。

明日香ちゃんのステージ上での笑顔もまたしかり。笑顔のだしかたがわからなくて、はにかむように時折こぼれるほんとうの笑顔が実は何より僕らにとってはいとしいものだということも知らず、なんとか作り笑いをもっとできるように(だから、比べる相手がすごすぎる)なれたらいいな、と日々なやんでいる…。

ああ僕も月並みなキャラ設定家になってきたようです。
まだまだこの日の彼女については書きたいことがあるけれど、長すぎてきたので(ちっとも当日の具体的な報告に入っていませんが)、またの機会に!

バブルバス、買うべきです。と最後の1行くらいは実用的な情報で。

*1:新宿高層ビル街のかつてのアイドルイベント会場。最近はそのようには使われていない。加藤西里奈らがイベントをやったのを最後に訪れていない。

*2:僕が見たのは1989年のそのNSビルでの1回だけだが、当時きいたところでは彼女のキャンペーンイベントはいつもそのような状態だったという。もちろんそこには要因として単純な握手の強度だけでなく、彼女の独特の見つめる視線とかの力も大きかったという。

*3:正確にこういう文面ではない。いま原資料が海のむこうに保管されていて閲覧できない。