「多摩っ子バブルス」への片想い

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数年前からひそかにひいきにしているダンススクールの発表会。3歳から18歳までの、スリムな子供や太った子供が、ドレッシーな衣裳や男役のタキシードを身にまとい、広いステージにおおぜい所せましと入れかわり立川り踊ります。それを見守る客席の親や祖父母は、今日のために何ヶ月もこどものために衣裳を作り、送り迎えをしてきた母親の姿をよく知っています。こどものこの晴れの日は母親の晴れの日でもあり、それはひいては父親の、祖父母の晴れの日でもある…こどもを育てるって、大変そうだけどなんだかとっても愉しそうだな、と思わせてくれた一日でした。

多摩っ子の定期公演を前回観ることができたのは、1990年代の後半。あれから私もいろいろありました。日本を思い返すとき、思い出されるのはなぜか多摩っ子バブルスでした。それはそのステージの選曲やダンスが、現代の日本の文化の総集的要素を持ち、またその出演者たちが、じつに現代の日本に生きるふつうの家庭たちを代表しているという印象があったからかもしれません。そして思いがけず、帰ってきました。私はこの多摩っ子公演に。帰ってくることができたのです。

「My Melodies」。数年前の多摩っ子公演と同様に、新・アンの愛情の歌を今でも愛唱していることに驚きました。あの時はパジャマでしたが、今日はみんな白いドレスです。

「The Winner Takes It All」。数年前の多摩っ子公演でも披露されたこの歌が、第2部フィナーレの冒頭に登場したとき、私は思わず身を乗り出してしまいました。勝利者は全てを奪い、負けた者は倒れるだけ…ABBAの歌に日本語詞を乗せたものです。元宝塚の方がそのようにして個人リサイタルで歌うという話はインターネットで調べて知っているのですが、それが音源で販売されているのならぜひ買いたいです。販売されていないとすると、多摩っ子のスタッフは日本語詞をリサイタルで覚えてきて伝授したのでしょうか。ちょっとマニアックなスタッフがいるのかもしれませんね。

むかし多摩っ子バブルスの私設ホームページを開いたとき、公式ホームページの方からメールをいただいて、相互リンクを張らせていただいたことがあります。その私のページは今はもう諸事情によりなくなってしまっているのですが、当時なぜそのようなメールをいただいたかを私なりに考えてみると、冒頭に書いたように、お母さんとスタッフとこどものコラボレーションによってはじめて多摩っ子は成立している、という印象を率直にページに書いたことがよかったのではないかと思いました。今日ここで書いたことは結局、すべてその当時書いたことの焼き直しになってしまいます。

なぜなら多摩っ子バブルスの公演は今日、あの頃となんにも変わっていなくて、あの頃感銘を受けた良さをすべて保ちつづけていてくれたからです。パンフによれば昨年より有限会社組織になったそうですが、それでもその持ち味がなにも変わらずに、手作りの良さという雰囲気を失っていないのは、畢竟個々のこどもの衣裳準備やモチベーション維持ということは本人・親・スタッフの三者のきめこまかい協同なくして成り立ちえない性質のものだからでしょう。

アンコール明け。お母さんが小さな女の子だったころの写真たち。こどもたちがお母さんへの共感と感謝を歌います。いつもありがとう…その気持ちをいつまでも失わない多摩っ子バブルスでいてくれるに違いない。そういう強い印象を受けた公演でした。だから私に娘ができたらぜひ入ってほしいです。